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君といつか杯を
  • OVAのみの設定を使っています(マルスの姓)。
  • 飲酒可能な年齢の設定を捏造しています。
  • 二十歳未満のキャラが飲酒する場面があるので、二十歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。また、未成年飲酒を推奨する意図はありません。

「アリティア軍のこれからの武運と長久を願って――乾杯!!」

 町長の音頭の後に、男衆の『乾杯』という野太い声が続いた。グラス同士がぶつかりあって、小気味の良い音が酒場に次々と響く。
 港町での力仕事で鍛え上げられたガルダの男達の中心に、アリティア騎士団のメンバーがいる。そして更にその真ん中には、アリティアの王子マルスが座っていた。
 鎧を脱いだアリティア騎士団の人達は正直ガルダの男達よりも小さく映ったのだけど、これでもあの海賊どもを皆倒したというのだから、王国兵と言うのはやはり強いのだなと思う。


 ガルダの人達は、港に現れる海賊達に長い間手を焼いていた。度々港の荷物を荒らし、港の人間が追い返そうとすると剣や斧を振り回し襲ってきたりするのだ。私も小さい頃から親に『お前は女だからあまり一人で外を出歩くな』と言われて育ってきた。ガルダは大陸の端にある片田舎の港町だから、国から討伐兵もなかなか派遣してもらえず、ガルダの人達はずっと苦しめられていた。

 そんな彼らだったが、突如ガルダにやって来たアリティア騎士団によって海賊達は全て倒された。これまで長い間苦労していたのは何だったのかというくらい、それはあっという間の出来事だった。

 ある日、私がお昼に店で出すスープの仕込みをしていた時のこと。一人で黙々と野菜を切り刻んでいると、ガシャーンと窓の割れる一際大きな音が耳をつんざいた。割れたのは向かいの家辺りだろうか、慌てて窓から外を覗くと、鎧を着た見慣れない兵士が海賊達とやり合っているのが目に飛び込んできた。青い髪の男が、海賊と剣を交わしている。その体は海賊よりも一回りも二回りも小柄に見えたが、二人の体格差を感じさせない戦いだった。
 青いマントがひらひらと舞い、海賊の刃を誘う。遠目でもその上品さが伝わってくる彼の鎧は傭兵のそれではなく、きっと貴族のものだと思った。貴族とは言っても決して弱いなんてことはなく――むしろいたずらに剣を振るだけの海賊達のそれとは違う、鮮やかな剣捌きだったのが印象的だった。私は、両親と三人で家の中でじっとしながら窓の外の光景を眺めていた。

 戦闘が落ち着くと、町長を始めとした町の人々が海賊を討伐してくれた兵士にお礼を言いに向かった。話によると、突然現れた彼らはアリティア騎士団なのだと言う。滅んだはずのアリティアの人達がどうしてこんなところにと思ったけど、聞くところによると王子は密かにタリスに亡命していたらしい。彼がタリスに潜伏していたところに海賊達の手が伸びたことによって、アリティアとタリスの兵が出撃するに至ったのだそうだ。

 私と両親が皆に混じってアリティア軍の人達を見に行ったとき、私が窓の外から見ていた青い髪の男はアリティアの王子、マルス=ローウェルだったということに気がついた。
 私は生まれてこの方ガルダを出たことがないので、一国の王子というものを生まれて初めて見たが――近くで見た彼は『王子』と聞いて想像するよりも穏やかな顔付きで、まだ少年時代の面影も感じられる。ひょっとしたら自分と同い年でもおかしくないと思った。男と言えば私は港で仕事をするガルダの人達や遠目に見る海賊達しか知らなかったものだから、私はその王族らしい上品な顔立ちに目を奪われていた。

 その日のうちに、アリティア騎士団は海賊を倒したお礼として私の家族が営む酒場に招待されることになった。ガルダにある料理店で一番大きい店がうちだったからとは言え、急に王族の人が来ることになるなんて夢にも思わなかった。
 こんな狭くて古びた店で申し訳無いと父はマルス王子に謝ったが、とんでもないと彼は首を横に振ってくれた。私と母も王族貴族のもてなしなんてしたことなんて無いものだから、どうしようと言いながら料理と酒の準備に奔走していた。


 日が沈み宴会が始まると、マルス王子は色んな人に気さくに話しかけ、あっという間にガルダの人達と仲良くなっていた。私が代わりの酒を注ぎに宴会場へ出たとき、びっくりして思わず二度見してしまった――気難しいお爺さんも、人見知りをする男の子も、気付けば王子の周りで楽しそうに話をしていたのだ。あの二人を笑顔にさせるなんて、やっぱり王子様ってすごいんだな。――なんて私が感心していると、王子のワイングラスが空に近いことに気が付いた。

 この酒場の給仕として働く私にとって、その日接待される人のグラスにお酌をするのも大事な仕事の一つである。つい最近十六の年になり私もお酒を飲めるようになったことによって、それまで母が果たしていた役目を受け継いだのだ。
 とはいえこんな片田舎の酒場なのだ、お酌と言ったって精々ガルダの町長や都からやってきた役人の杯にしか酒を注いだことがなかった。

 なのに、急にアリティアの王子様にお酌をする羽目になるなんて! 私は王子様やお姫様、宮廷騎士団を見るのですら今日が初めてなのだ――言うまでもなく、こんなに身分の高い人達にお酌をするのも初めてだった。上手くできるか分からないけど、やるしかない。
 私はお盆をぎゅっと握り直すと「失礼致します」と一礼し、彼らの輪の中に割って入った。それまで談笑に夢中だった王子や騎士団の人、それにガルダの男衆の視線が一気に私に集まる。一番身分の高い王子の酌からしなければならないので、初っ端から大役だと手が震えた。

「お代りをお入れいたします」

 私が恐る恐る声を掛けると、マルス王子は町で見たときと同じ穏やかな表情で会釈を返してくれた。王族である彼が私のような給仕に反応してくれるとは露思わず少し驚いたが、平静を装い瓶の口を彼のグラスに近づけた。

「ありがとう」

 私がぶどう酒を注ぎまた一礼をすると、小さく微笑んでお礼をしてくれた。男性にしては珍しく長めのまつ毛が小さく伏せる。初めて近くで見たその顔立ちは周りの騎士達よりも幼く、やはり私と同い年くらいの青年に見えた。
 もし私と同じ十六なら、お酒を飲めるようになったばかりだろう。私は好きでお酒を飲むということはまだあまりないけど、王族の人ならばこうして付き合いでお酒を飲むことも多いんだろうな。
 実際に年齢を尋ねるなんて無礼な真似はできないけど、それでも彼の年は一体いくつなのか、厨房に引っ込んでからも私はぼんやり考え続けていた。



 厨房に置いていた酒の瓶が次々と空になっていくにつれて、宴会場から聞こえる笑い声は大きくなっていった。お客さん達が盛り上がってくると、料理よりもお酒の注文がたくさん入るようになる。私と両親は、あちこちで入る注文を捌くのにてんやわんやだった。

 私がふと両手に料理を抱えながらマルス王子の方に視線を飛ばすと、いつの間にかもう彼のグラスはまた空になりかけているところだった。危ない、空になってから注いだりなんかしたらきっと次の日町長辺りにどやされるだろう。私は急いで料理を運びきると、ぶどう酒の瓶を抱えてもう一度宴会場に飛び出した。

 急ぎ足でマルス王子の元へ向かった私は、彼の異変に気が付いて足を止めた。宴会の初めはそれこそ席には座らず色んな人と談笑していたのに、いつの間にか彼は席に座っていた――いや、『座っていた』と言うより『座り込んでいた』と言う方が正しいかもしれない。拠り所を失った彼の上体はぼんやりとテーブルの上で揺れていて、今にも突っ伏してしまいそうだった。
 彼が酒に酔ってしまっていることは火を見るより明らかだ。しかし周りの者も同じくらい、もしくはそれ以上に酔っ払っているようで、誰も彼の異変に気付いていない。それどころかもっと酒を頼めと叫ぶ者までいた。
 さすがにこれ以上飲ませてはいけないと思った私は、急いで厨房に戻ると代わりに水の入った瓶と新しいグラスを持ち出して彼の元へと急いだ。

「失礼致します」

 私が声を掛けると、彼はゆらりと顔を上げ、声の主を確認した。曖昧に揺れる彼のまつ毛は濡れていて、初め泣いているのかと錯覚し、小さく心臓が跳ねた。

「ああ、君か……ありがとう」

 しかし声の主が私だと分かると、彼は緩慢に微笑んだ。額から汗が垂れていたのだ。私はなるべく他の人から見えない角度に移動すると、彼の赤い耳元で小さく喋った。

「あの。こちらお水ですので、良かったらお飲みください」
「えっ……?」
「ご気分が優れないように見えましたので、……その、心配で」

 もっと気の利いた言い回しくらい沢山あったはずなのに、咄嗟に『心配』という言葉が口を衝いて出てしまった。慣れない酒に翻弄される彼がなんだか他人事とは思えなかったからだけど――やっぱり『心配』という言葉は、王族である彼に使うべきではなかったかもしれない。
 言葉遣いで怒られるかもと内心ひやひやしていたが、私の言葉は届いたのか届かなかったのか――彼は目を数回ぱちぱちさせると、まるで私が目の前にいたことに初めて気が付いたかのように驚いた顔を浮かべた。それから小さく微笑み「ありがとう」とお礼を言うと、私の差し出したお水をゆっくりと飲んだ。

「わざわざ持ってきてもらって悪かったね。どうもありがとう」
「いえ、差し出がましい真似をして申し訳ありませんでした」
「ううん。君のおかげで助かったよ」

 そう言いつつも力無く微笑む彼の頬にはまだ火照りが残っていて、白い肌が赤く色付いていた。見ると彼の前髪は汗でいくつか額に張り付いていて――私は何だか見てはいけないものを見てしまったような気分になり、慌てて視線を逸らした。

「すみません、失礼致します」

 なんだか居たたまれなくなった私は、ついにその場から逃げ出してまた厨房に引っ込んだ。
 とにかく水を渡すことはできたのだ、もう給仕としてできることはない――むしろ、頼まれてもいない水を勝手に渡す時点でもう既に給仕としての仕事の範疇は超えていたのだ。心配だけど、もう手を出すべきではない。私はそう自分に言い聞かせ、宴会が終わるまで料理や酒の注文を捌くことに専念した。


 それからしばらくすると宴会はお開きになった。
 客の中でもガルダに住んでる者達は叩き起こし家に帰させる。そしてアリティア騎士団の人達は、両親が近くの宿まで案内することになった。
 それにしてもまあ、毎回毎回ここまでよく飲めるものだ。こちらは商売なので沢山注文してくれるのは嬉しいけど……。
 積み上がったお皿やグラスを一つ一つ片付け厨房で一人洗い物の作業に追われていると、玄関の鈴が鳴るのが聞こえてきた。両親が帰って来たかなと思い首を伸ばして見ると、ドアの前に立っていたのは両親ではなくマルス王子だった。

「あれっ」

 何かあったのかと思い、手に持っていたお皿を放って向かう。私が玄関に辿り着くと、先程までの酔いは無事醒めたのだろう、一つも靄のない瞳で彼はしっかりと床を踏みしめ立っていた。

「すみません、何か忘れ物などありましたか」
「ううん。君にお礼が言いたくて」
「お礼?」
「うん。さっきはお水をくれてどうもありがとう」
「ああ――!」

 合点が行き、私は思わず声を上げた。そんな大層なことをしたつもりはないのに彼に頭を下げられ、慌てて手を横に振る。

「いえ、とんでもございません。むしろ私こそ出過ぎたことを……申し訳ありませんでした」
「いや、良いんだ。ぼくもあの時一人じゃどうしようもできなかったと思うから」

 そこまで言うと彼は恥ずかしそうに目を逸らし、頭を掻くような仕草を見せた。

「実はぼく、ついこの間お酒が飲めるようになったばかりで、こういう場はまだ慣れていないんだ……君がいてくれて助かったよ」

 そう言うと彼は、眉根を下げて少し照れたようにはにかんでみせた。その笑顔は王子としてのそれではなく、一人の青年としての――まだ大人になりきらない青いもので、私は胸がどきりと高鳴るのを感じた。

 彼は私と違って王族の出身だから、全てが完璧なんだと思ってた。容姿にも恵まれているし、剣の扱いにだって長けている。きっと勉学だって、酒の種類やお金の計算なんかよりももっと大切なことを彼は沢山知っているに違いない。それに確か彼は既に両親を喪っていたはずだ、今までしてきた苦労の量も私とは段違いだと思う。
 でもそうか、やっぱり彼は私と同じ十六なのだ。意外とこういう見えない場所で、普通の人みたいに失敗したりもしてるんだろうなと思った。

「……お気遣い、痛み入ります」
「ううん。……料理もお酒も、美味しかったよ。ご両親によろしくと言っておいてくれるかな」
「あ、ありがとうございます。父も母も喜びます」

 両親や私が作った料理が褒められるのは素直に嬉しい。私が密かに喜びを噛み締めていると、彼は「それじゃあ」と踵を返しかけた。床板が小さく軋むのが聞こえた私は、咄嗟に口を開いた。

「あのっ、良かったら――」

 唐突な私の声に、王子が振り返る。扉を開けようとする彼の腕がぽかんと浮かんでいた。

「その、落ち着いたらまたガルダに来てください、えっと……今度はもっと美味しい料理を用意しますので」

 ――何言ってるんだ、私は! マルス王子はこのガルダに遊びに来た訳ではないのだし、大体一国の王子がこんな田舎の小さな町にまた来るなんてあるはずがない。自分でもよく分からないことを言っていると気付き慌てて言葉を取り消そうと考えを巡らせたが、彼の笑顔の輝きを前に私の頭が止まった。

「ありがとう、楽しみにしてるよ」

 彼は「それじゃあ、おやすみなさい」と言うと、今度こそ振り向かずに宿への道を辿り始めた。私は彼の姿が夜の闇に消えるまで、ずっとその後ろ姿を眺めていた。
 店に戻って再び一人になった私はなんだか気恥ずかしくなって、しばらくうろうろと店の中を歩き回った。厨房に洗い物がまだ残ってると思い出すまでには、もう少し時間がかかった。


 数日して、アリティア騎士団がガルダを発つ日がやってきた。彼らはオレルアンへと向かう道中、山賊に攫われたシスター・レナを捜索しに、悪魔の山へと向かってくれるのだそうだ。

「本当にどうもありがとう。あなたはこの町の救世主です」
「いいえ、こちらこそ我々に数日間も懇意にしていただき、どうもありがとうございました」

 広場で皆が見守る中町長と王子が握手を交わす。お互いの挨拶が終わると、アリティア騎士団は馬に跨って険しく聳える山の方へ馬を歩かせ始めた。

 皆で彼らの行列を見守っていると、不意に誰かが「マルス王子、ありがとう!」と叫んだ。それを皮切りに他の人たちも次々とマルス王子やアリティア騎士団への感謝を叫び始める。彼らはガルダの人達の歓声を聞くと、やがて笑顔で手を振り始めた。これがきっと最後なのだ、皆の声に紛れるなら――。私は風に靡く彼のマントに向かって叫んだ。

「マルス王子、また来てください!」

 私がそう叫んで手を振ると、長く連なった馬の背の向こう――行列の先頭にいた彼がゆっくりとこちらに顔を向けた。彼を見送るために高く振り上げた手が、思わず止まった。

(あ――)

 彼の笑顔は、あの夜に見たのと同じだった。彼は私を見ると困ったように眉根を下げて、小さくはにかむ。『またね』――彼は確かにそう口を動かすとマントを翻してまた前を向いてしまった。

 マルス王子、ありがとう。またね。
 私はそう返事をしたくて、私は彼の姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。


 アリティア軍の長い行列が、やがて見えなくなっていく。蹄鉄の音がついに聞こえなくなると、彼らを見送っていた人々は皆散り散りになっていった。そんな人々の流れの中で、わたしはただ一人じっと彼らが消えていった方を眺め続けていた。

 彼が『またね』と返してくれたのが嬉しくて、胸がじんわりと暖かくなるような心地だった。彼が最後に見せた笑顔をまた思い返す。あの笑顔はきっと、私にだけ向けられたものだ。そう思うと、なんだか胸がどきどきと高鳴った。
 いつか、何年後のことか分からないけど、彼はまたガルダに来てくれるだろうか。また私達の酒場でぶどう酒を味わってくれるだろうか。そんな風にこれからのことを考えられるなんて、なんだかとても幸せだ。

「よしっ」

 私は頬を軽く叩き自分の気持ちに区切りをつけると、今日の料理の仕込みを始めるために一人酒場へと足を向けた。私に今できることは、彼の無事を祈りながら自分の日々を過ごすことだけだ。彼がまたガルダに来てくれる日を夢見ながら、私は今日も厨房に立つのだ。

2024/06/16