- マルス×シーダ前提です。最終的に夢主が失恋します。
- シャロンとの友情夢要素も含まれます。
- 召喚・送還の細かい設定を捏造しています。
『今までありがとう、スミレ。またどこかで会おう』
そう言って彼は微笑む。どうしてそんなに穏やかな顔をしていられるの。どんどん遠くなっていく彼に、どれだけ腕を伸ばしても届かない。
「待って、マルス――」
『ごめんね、そろそろ行かなくちゃ』
「いやだ、お願い、行かないで」
マルスのことは笑顔で送り出したかった――こんなこと言いたくなかったはずなのに、彼を引き止める言葉と自分勝手な涙が止まらない。私の嗚咽に背を向けて、彼はその門へと歩を進めた。
『さようなら、スミレ』
彼がそう小さく言うと彼の体は瞬く間に光に包まれていく。次に目を開けたときには――マルスは、もうどこにもいなくなっていた。
「マルス――!!」
そう叫んだ瞬間、私の声は夜の闇に吸い込まれていった。自分の放った声が小さく響く。目を開けると、そこは紛れもなく自分の私室だった。
「ゆ……ゆめ……?」
いつもの石レンガの天井に、いつものベッド。窓の向こうでは星が瞬いている。気付くと自分の汗で濡れた肌着がじっとりと体に張り付いていた。
今のマルスとのやり取りは、どうやら夢の出来事だったようだ。
「はぁ……」
夢とは言え、彼に対してあんな言葉を掛けた自分に嫌気が差す。私は寝転んだまま溜息を吐いて、ごろりと寝返りを打った。
……さっきマルスが足を踏み入れていたあれは、間違いなく送還の門――英雄が、元いた世界に戻るためのものだ。一度その門の向こうに足を踏み入れると、もうこちらの世界に戻ることはできない。あの門の向こうへと行くということは、これから先永遠に離れてしまうということと同じだ。
私は夢のことを早く忘れてしまいたくて、布団の中に隠れるように潜り込んで目を瞑った。瞼の暗闇も振り切りたくて、必死に眠ろうとした。
◆ ◆ ◆
エンブラ帝国皇女ヴェロニカが憑神の呪いから解き放たれてから、もう何年経っただろうか。『アスクの人間を殺す』という本能から解放された彼女は、程なくしてアスク侵攻を無期限で停止することを宣言。両国の間に和平協定が結ばれたことにより、アスクとエンブラは良き隣国同士となった。
憑神との戦いによって大きく荒れてしまった両国の復興もそれなりに進んできた頃、アスクとエンブラの間で重大な事項が決定された。それは、近いうちにそれぞれの国で召喚されていた英雄達を元の世界に送還させるということ。
そもそも英雄達はこの世界の住人ではなく、私達が勝手に異界から召喚した者達だ。彼らにもそれぞれの生活があり、愛する人がいて、立ち向かうべき戦いがある。長い間隔たれたままだったアスクとエンブラの溝が埋まった今、英雄達を元いた世界に帰すべきだという声が強まったことによって今回の事項が決まったのだという。
そう、もうしばらくしたらマルスは本当に帰ってしまうのだ。あの夢はでたらめなどではなく、きっと近いうちに現実になる。
「……はぁ」
マルスは、私がこのアスクに来て初めて喚び出した英雄だった。
それまでの私は、毎日毎日ぱっとしない仕事をこなして家に帰って眠り、また仕事をするために出て行く――その繰り返しの中で何とかやっていた。
それがある日突然知らない世界にやって来たかと思えば、『世界を救う大英雄』『召喚師』などと持ち上げられ、言われるがままに神銃を振るわされたのがつい先日の出来事かのようだ。訳の分からぬまま召喚の儀を執らされ、眩い光の後に現れたその青い瞳を今でも鮮明に思い出すことができる。
初めてエンブラ軍と交戦した時も、ムスペルの王スルトと対峙した時も、死の女王を討った時も――マルスは私の、私達の側にいてくれた。そして彼もまた突然召喚された身だと言うのに、私達のことをいつも気遣ってくれた。
そんな彼に特別な感情を抱くようになっていたのはいつからだろう。
初めはただの憧れの気持ちだけだった。マルスは、優しくて芯のある男性だ。きっと性別関係なく多くの人が彼に惹かれて、もっと彼のことを知りたいと思うだろう。そう言う私もその一人だった。
だけど、彼の側で戦い同じ時間を過ごすうちに、私は徐々にマルスのことを――
「スミレさんっ!」
「うわっ!?」
ばしっという音ともに背中に衝撃が走る。叩かれた!
誰だと振り返ると、そこにはアスク王国の妹王女であるシャロンが立っていた。彼女はまるで何事も無かったかのように、いつもの朗らかな表情で私に手を振る。
「お疲れ様です! 作業進んでますか?」
「あ――」
「英雄さん達が帰る前にキレイにしておかないとですよ――ってスミレさん、これは……」
そうだ、今は武具の整理の途中だった――。英雄達がアスクを離れるのに際して、大量に存在する武具を整理するのが今日の私の仕事だったのである。
言われて手元を見ると、錆びた剣の束に埃の被った矢筒が沢山。これではまるで手を動かしてないのがバレバレだ。
「あ、えっと、考え事してて……」
「なるほど……そうだ、私がどうしてここに来たかって、そろそろお昼なんですよ! 一旦休憩にしちゃいましょう!」
ゴーン、ゴーン――。
彼女がそう言った次の瞬間、本当にお昼を告げる鐘が鳴った。もうそんなに時間が経っていたのか。
呆ける私をよそにシャロンはぴょいっと跳ねるような真似を見せると、私の腕をぐいと引っ張った。
「ほらほら、今日もお隣でご飯食べましょう♪ 行きますよ!」
「わっ、ちょっと待っ――」
彼女に腕を引かれるようにして武器庫を離れる。背中からガシャガシャと矢の山が崩れるような音が聞こえたような気がするが、今の私におてんば王女の腕から逃れる術は無かった。