Dream Novel & Illust Site
微睡む景色と君の夢
 私が夢の国アルフで独りになってから、三日が経った。

 とは言っても、本当に三日経っているかは分からない。私がアルフを彷徨っているうち太陽が三回昇って沈んだから三日間だと認識できているけれど、体感ではもっと短い時間のように感じる。でも、本当はずっと長い時間彷徨っているのかもしれない。

 以前アルフからやってきた妖精ピアニーさんは、「アルフでは皆の常識とは違うことが起きる」と言っていた。人々の夢の中にある国だから、どんなに不条理なことが起きても不思議ではないらしい。アルフを歩いていると、時間感覚も――そして方向感覚もおかしくなるようだ。

 現に、私は三日間ずっと同じ道を何回も歩かされている。

 大きな赤いキノコの傘の下をくぐり、足元でお喋りしている花達を踏まないように森を進むと、いつの間にか世界の上下が曖昧になって海の中に沈んでいる。なんとか泳いで海を抜けると、またあの大きな赤いキノコが見えてくるのだ。キノコ、花、海。キノコ、花、海。誰か人や妖精はいないかずっと探しているけど何の影も見えず、私はずっと一人ぼっちだった。


 私はなぜ、こうして一人で彷徨い続けているのだろう。いつから一人になったのだろう。



 アルフには資材や食料を集める目的で、ペアの英雄であるマルス王子と二人でやってきた。

 マルス王子は私と同じ、異界から召喚されて来た英雄の一人だ。やってきた世界が違う上に王族でも貴族でもない私だけれど、王子は私を同じ英雄として尊重してくれた。以前一緒に出撃した作戦でも王子は率先して私を庇い、助けてくれた。
 誰にでも優しい心を持って接することができる彼に、私はひそかに憧れていた。


 アンナ隊長に資材収集の作戦を命じられ、王国を出る前に彼女に言われた事。――アルフは人々の夢の中にある国だから、一度はぐれてしまうと帰れなくなってしまうかもしれない。だから、絶対にお互い離れないように気を付けて――。私達はその言葉を忠実に守り、いついかなる時もお互い側にいるように努めていた。

 しかし、いつの間にか私は一人になっていた……というより、それはまるで魔法兵にワープを掛けられて飛ばされたかのようだった。それまで彼の隣で薬草を集めていたはずなのに、気が付くと私は海の中に沈んでいたのだ。

「王子、マルス王子!」

 私は何度彼の名を呼んだだろう。私が叫ぶ声は波音に呑まれて消えて、ただ自分の声が海に反射して返ってくるだけだった。それから私は王子を――、そしてアスクに帰る方法を探して同じ道を三日間歩き続けることとなった。


 私はいつになったらアスクに帰ることができるのだろう。キノコ、花、海。何度も何度も繰り返す景色に、なんだか頭がおかしくなってしまいそうだ。いっそ飢えられればいいのにと思うけど、どれだけ歩いても足は疲れてくれないし、三日の間お腹の音は一つも鳴らなかった。

 私はずっとアルフを歩いているつもりだったけど、もしかしたらいつの間にか黒妖精に捕まってスヴァルトアルフに迷い込んでしまったのだろうか。
 足は疲れないしお腹も減らないけど精神だけは萎びていっているようで、歩いているだけなのにどんどん気力が削られていく。
 三日間休むことなく歩き続けたからか、もう数十回は通り抜けたであろうキノコを過ぎた後、とうとう動く気力が底をついて私は地面に倒れ込んでしまった。

 目の前にはお喋りしている花が楽しそうに仲間たちと話し込んでいる。確かピアニーさんは言ってたっけ、「夢の国アルフで辛い夢を見る人はいない」って。

「誰か……助けて……」

 三日間ですっかり掠れてしまった声で呟くと、楽し気に話していた花々がこちらに気付いた。何かを言っているようだったけど、私はその言葉を聞く前に意識を手放した。
◆ ◆ ◆

 遠くから小鳥たちの明るいさえずりが聞こえてくる。瞼に注いだ白い陽の光で、少しずつ意識が覚醒していった。私が薄く目を開けると、いつもの王城のそれとは違う、見知らぬ白い天井が広がっていた。

「おはよう、スミレ」

 身に覚えのない場所にいると気付いた私が一人戸惑っていると――穏やかな男性の声が自分の隣から聞こえてきた。驚いて飛び起きると、なんと私の隣にマルス王子が横たわっているではないか。――しかも、私と同じ布団に入っている。どうやら私が眠っていたのは大きなダブルベッドらしい。

「お、王子!?」

 そんなこと、万が一にも無いと思うけれど――私は思わず自分が衣服を着ているかどうか確認してしまった。大丈夫、私はちゃんと寝間着を着ている。……寝間着? 私はさっきまでアルフにいなかったっけ? 考えれば考えるほど、この状況は不可解だ。
 しかし王子は慌てた様子の私を前に、やおら首を傾げるだけだ。

「どうしたの? そんなに慌てたりして」
「え――どうしてって、なぜ王子が私の隣で……!?」

 彼が私の隣で眠る道理など一つもなかった。
 アスク王国には、王城から程近い場所に英雄たちが各々の時間を過ごすための私室を構えた離宮がある。私を含めた異界の英雄たちはそこに各々の部屋を持っているため、私と彼が一緒に眠るということはないはずなのだ。
 しかし、マルス王子は私と一緒に過ごすのが至極当たり前だとも言いたげな顔で私と同じベッドに入っていた。

「それに、どうしてぼくのことを今更『王子』と呼ぶの? いつもみたいに名前で呼んでほしいな」
「な、な、なま……!?」

 名前……!? と聞き返したかったのだが、彼から発せられた言葉の衝撃が強すぎて上手く返せなかった。この世界で私と王子って一体どういう関係なの!? と動揺していると、彼が私の頭に手を伸ばしてこう言った。

「スミレ、まだ寝ぼけているの? ぼくとスミレは、ずっと前からこうしていたじゃないか」

 その言葉を聞いた瞬間、マルス王子の指が私の髪の間を優しく流れた。彼の指が私の髪を梳くように滑ると、彼の美しい顔が近づいてきた。どんどん近付いて、くっついてしまいそう。もしかして、これって――

「あ……」

 彼に何をされそうになっているのかに気付いた私は、思わず身体を固くしてぎゅっと目を瞑った。

 が……しばらくしても彼の感触はなかった。私が恐る恐る目を開けると、マルス王子はくすくすと笑いながら私の反応を楽しんでいるようだ。いつもはにかむような笑みを見せてくれる王子が、今は少し悪戯っぽく笑っている。なんだか幼くも見える、そんな彼の顔を私は今まで見たことがなかった。

「お……王子?」
「ごめん、スミレがあんまりにも可愛いからつい……」
「か、か……かわ……!?」

 まさか王子にそんな風に褒められるとは思わず、かあっと顔に熱が集まった。思わず両手で顔を覆うと、彼は私の耳元で囁いた。

「ねぇスミレ。ぼくの名前を呼んで?」
「あ、あ……」

 頭がくらくらする。こんな距離で、憧れのマルス王子に囁かれたら頭がどうにかなってしまう。私が何も言うことができず固まっていると、彼が追い打ちをかけるように言葉を続けた。

「いつもみたいにぼくを『マルス』って呼んでくれたら、スミレがしてほしいことを何でもしてあげるよ」

 王子はそう言って私の体をぎゅうっと抱き締めた。布団の布が擦れる音がして、彼の筋肉質な腕が私の背中に密着する。

 まるで彼と恋仲であるかのようなマルス王子の言葉とボディタッチの数々に、私はまともな思考をするための頭がほとんど残っていなかった。私とマルス王子は、ひょっとしたら本当に恋仲だったのかもしれない。毎日彼と二人で過ごして、夜は同じ寝床に入り一緒に朝を迎えていたのかもしれない。私は次第にそう錯覚し始めていた。

 こんな素敵なマルス王子の恋人としていられたら、どれほど幸せなことだろう。私は夢心地の中、王子を抱き返しながら考えていた。

「君がぼくにしてほしいことは、何だい?」

 王子が抱き締めていたその腕を離すと、鼻先が触れ合いそうな距離で私の目をじっと見つめてきた。彼の紺碧の瞳には私しか映っていない。彼が今、私を求めているのだ。

「わ、私は……」
「私は?」
「マ……マルス様、と……」
「ぼくと……?」

 私がその先を言い淀んでいると、彼が私の顎を両手で包んだ。指先から王子の温もりが伝わってくる。私と同じくらい、熱くなってる彼の体温が。その熱に当てられて、全身の血液が沸騰してしまいそう。

「あ、あ――」
「さぁ、ぼくに教えてくれるかい?」

 彼の熱っぽい瞳が私を捕らえて離さない。彼に見つめられただけで、私の心臓は張り裂けそうなほど脈打った。震える口が、私の喉から言葉を紡ぎ出す。

「マルス様と、く、口づけがしたいです……!」

 言った、言ってしまった――!
 自分の欲望を口にした瞬間猛烈に恥ずかしくなってしまった私はどうすることもできず、言葉を言ってしまった口をぱくつかせることしかできなかったのだが――。

「ふふ。ぼくもだよ、スミレ」

 その開いた唇は、彼によって奪われることになった。
 王子――いや、マルス様と唇が触れた瞬間、得も言われぬ幸福感で胸がいっぱいになった。まるで熟れた果実のように甘い口づけ。それは一度唇が離れ、再度重なるとさらに甘くなっていった。
 何度も口づけを交わす度、彼の熱が移って融かされてしまうかのようだ。体が段々と熱を帯びていく。まるで浮かされるかのような熱に意識がぼやけ、次第に私の視界はとろけていった。
◆ ◆ ◆

「はっ」

 目が覚めた瞬間、口から心臓が飛び出るかと思った。

「全部、夢……?」

 慌てて体を起こして辺りを見回すと、今度こそ王城の中であることがすぐに分かった。石レンガで造られた、見慣れた天井が見える。
 横を振り向くと壁には棚が並んでいる。棚の中に薬草や薬品が並んでいるのを見るに、きっとここは医務室なのだろう。それまで見ていた夢が現実離れしすぎていて、ここが現実なのかまだ確信しがたい。

 私が必死に現実を把握しようと辺りをきょろきょろ見回していると、誰かが後ろから扉を叩いて入ってきた。

「失礼します……あ! スミレさん、お目覚めになられたんですか!?」
「シャロンさん……?」

 私が振り向くと、濡れタオルを持ったシャロン王女がわなわなと震えていた。濡れタオルは病人の看病のためであろうか。いや、私が医務室で眠っていたということは、私の……?

「スミレさん! ついに目覚められたんですね、良かったですっ!!」
「え、え? もしかして私、ずっと眠っていたんですか?」
「そうですよ〜〜! 私、すっごく心配したんですから!!」

 そう言ってシャロン王女は目に涙を浮かべながら私の手を握ってぶんぶんと振る。何が起こったのか分からずぽかんとする私をよそに、彼女は特務機関の他のメンバーを呼びに出て行ってしまった。

 しばらくするとアルフォンス王子とアンナ隊長がやって来て、同じように私の手を握って喜んでくれた。が、いつまで経っても状況が読めず呆けた顔をするばかりの私を見て、アルフォンス王子が事情を説明してくれた。

 なんでも数日前に私が出撃予定の作戦があったらしいのだが、集合時間になっても私の姿が見えないのでシャロン王女が起こしに来てくれたのだそうだ。しかし、彼女が呼んでも揺すっても(軽く)叩いても起きないので、その日は代役を立てて出撃した……のだが、そこから私はまる三日間眠り続け、一度も起きることがなかったのだそうだ。

「私、三日間も……」
「ああ。君が眠っている間発熱していたからこうして皆で交代で看病していたんだけど……スミレ、どこか具合の悪いところはあるかい?」
「ええと、とりあえずお腹が空いたのと……」

 と、自分の身体の調子について考えるうち私はあることを思い出した。

「そうだ。眠っている間、アルフから出られなくなってしまう夢を見たんですけど……、私が眠っている間ピアニーさんが私の夢の中を見に来たりとかって……しましたか?」

 私のあの夢を見られているとなると少し……いやかなり恥ずかしいが、質問せずにはいられなかった。
 私みたいな未熟者でも、英雄が原因不明のまま三日眠り込むとなると特務機関にとっても兵力の損失だ。きっと原因を突き止めるため私の夢の中にもピアニーさんが派遣されたに違いない。
 夢の国アルフからやってきた妖精のピアニーさんは、人の夢の中に入ることができる。私の夢の中に黒妖精達が取り憑いていれば、あんな夢を見たのにも説明がつくだろうと思ったのだ。

「そうだね……確かにピアニーには君の夢の中を調査してもらった。君がアルフで行き倒れているところは確認できたけど、その後君が見た夢の中までは見に行けなかったそうだ。でも君の夢に黒妖精が取り憑いている様子はないから、やっぱり君が眠り続けているのは体調不良だろうって」

「体調不良……」

 以前スヴァルトアルフに出撃した際に対峙した黒妖精、悪夢のスカビオサと淫夢のプルメリア。私がアルフで行き倒れる夢を見たり、マルス王子と一緒に過ごす夢を見たりしたのはあの二人が関わっているに違いないと思ったのだけど、実際にピアニーさんが調べてくれたのだからきっと二人は全くの無関係なのだろう。ということは……

(私、自分の無意識であんな夢を見ちゃったんだ……!)

 頭の中に浮かんだその事実に私は恥ずかしさでたまらなくなってしまった。いくら夢の中での出来事とは言え、マルス王子とあんな不埒な行為をしてしまうなんて……!

 私がまた一人顔を赤らめていると、シャロン王女が心配そうに声を掛けてきた。

「スミレさん、まだお顔が赤いですよ……? とにかく、ご飯とお水を召し上がったらまた休んでください……!」
「あ、ありがとう……」
「そうね、まずはスミレのために食事を作りましょうか。スミレ、すぐ戻るから安静にね」
「はい……」

 そう言ってアンナ隊長はアルフォンス王子とシャロン王女を連れて部屋を後にした。
 部屋で一人になった後、布団に包まって三日もの間見ていたという夢の内容を思い出す。マルス王子とアルフにやって来て、一人になった後アルフを彷徨って、そして倒れた後マルス王子の隣で私が目覚めて……。

(ああ~~!! 思い出すだけで恥ずかしい……!!)

 夢の続きを思い出すだけで顔から火が出そうだ。私は布団の中で暴れ、一人悶絶した。
 憧れの人と恋仲になり、二人で暮らす。そして恋人と口づけを交わす。確かに幸せな夢ではあったけど、自分の願望があんな形で表出してしまうなんて、次マルス王子と会う時どんな顔をして話せばいいんだろう……。

 それからしばらくの間、あの時見た夢を思い出しては一人恥ずかしさに悶える日々が続くことになるのだった。

2023/11/14
Titled by utena