- 忍の性格にかなり改変を加えています。容姿が共通の別キャラと捉えてお読みください。
- 十八歳未満のキャラが深夜帯にゲームセンターに入店する描写がございますので、十八歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。また、上記の行為を推奨する意図はありません。
頭がガンガンする。
激しい頭の痛みで、自分が今まで眠っていたことに気が付いた。しかも布団じゃなくてコンクリートの上でだ。
外で眠った覚えのなかった私はガバッと体を起こして周りを見回した。ここはどこ? 私が倒れていた場所は路地裏の暗いところだったけど、すぐそばには居酒屋の提灯の赤色が見えた。飲み屋街のすぐ近くらしい。
別にどこかでお酒を飲んだ記憶はないし、そもそも記憶を失くすまで酔い潰れるタイプではない。見覚えのない場所で着の身着のまま眠っていたという事実に冷や汗が垂れる。慌てて体を触るが、特に衣服に乱れた様子は無く、そこはひとまず安心だった。
とにかく時間を確認しようと慌てて携帯を探すが、カバンも、財布も、携帯のロック画面も、何故か全部私が持っていたものとは似ても似つかない別のものになっていた。意味が分からない。気味の悪さを振り払って確認した時刻は、午前零時ちょうどだった。
(多分、まだ終電があるはず……)
柔らかい布団で寝なおしたかった私は、とにかく地図で場所を調べながら帰ることにした。幸いと言うべきなのか、携帯のロックは私の顔で開いてくれた。携帯は間違いなく私の物らしい。
景色に見覚えが無いとは言え、多分この辺だろうというアタリはついている。細かいことを考えるのは後だ。未だ止まない頭痛に額を抑えながら、ゆっくりと歩き出した――
「だからぁ、ぼくは金なんか持ってないんだって!」
一歩踏み出した瞬間、突然後ろから誰かの声が聞こえてきた。若い男の子の声だ。なんとなくどこかで聞いたことがある気がするけど、誰か思い出せない。
「はぁ? 何抜かしとんねんボケ、お前金持ってるやろ」
もう一人、今度は大人の男性の声だ。内容からして明らかに揉めている。普段だったら何も見なかったフリをしてそそくさと逃げる場面だけど、どこかで聞いた覚えのある声の持ち主が気になった私は、そっと振り向いてしまった。
「――えっ!?」
小柄な背丈と紫色の髪。何よりもトレードマークである金色のメッシュヘアー。遠くからでも分かる。間違いない、あれは流星隊の仙石忍くんだ……!!
何を隠そう、私は忍くんの大ファンなのだ。流星隊のライブに行った回数は数知れず、夢ノ咲時代の五人を知っていることがひそかな自慢である。流星隊の皆は基本箱推しだけど、忍くんが一番好き。ライブ会場で黄色いペンライトを振るのが私の一番の幸せだ。
なんなら携帯のロック画面だって忍くんの写真だったのに、なぜか個性の欠片もない無地の単色背景に変わっていたのだった。
「うるっさいなぁ! もっと金持ってる人なんかいるでしょその辺に!」
「黙れ! お前ガキのくせにヘラヘラしやがってむかつくんじゃ――」
「!」
男が忍くんの胸倉を掴むのを見た瞬間、気付いたら駆け出していた。忍くんと対峙していた男性は体格も良く、まず力では勝てないなと思った。でももう後には引けない。推しがピンチのとき、身を挺して助けるのが流星隊ファンだ――!!
「待って!!」
「あ? 何やねん、誰じゃお前」
「ごめんなさい! 私、この子の姉です! ごめんなさい、もうご迷惑掛けませんから。ほら、行こう」
忍くんの返事を待たずに彼の腕を引っ張って表通りまで連れていく。すごく怖かったけど、あのおじさんも流石に人目のあるところで女に手を出すことはしないだろう……。
「はぁ……はぁ……」
「……お姉さん、誰?」
私は久しぶりに全力で走ってしまったせいで息が切れていたのだが、一方の忍くんは同じ距離を同じスピードで走ったにもかかわらず息切れ一つ起こしていなかった。流石はプロのアイドルだ……。
しかし明るいところでよく見ると、いつもテレビや動画で見る忍くんとは雰囲気が違うように感じられる。いつもより全体的に髪が長いし、鉄壁の左目はあっさり視線をくれている。それに、何といっても特徴的なのはそのファッション――じゃらじゃらとしたシルバーアクセサリーに、ビッグシルエットのジャケット。そこからすらりと伸びる、ダメージ加工のスキニーがよく似合っている。……すごく似合っているが、いつもの彼のスタイルではない。
もしかして、あれは何かの撮影だったのではないか? そして私はその撮影を邪魔してしまったのではないか? その可能性に気付いた瞬間、コンクリの上で目を覚ました時とは違うタイプの冷や汗が噴き出た。
「……ねぇ、聞いてる? お姉さん誰?」
「うわ、えっと、ごめんなさいっ。私撮影の邪魔しちゃいましたよね」
「撮影? 何の話?」
「その、あなた仙石忍くんだよね? 流星隊の」
うわ、言っちゃった。彼を咄嗟に庇った時は撮影という可能性が頭から抜けてたけど、オフの忍くんに会えるなんて夢のようであり、一方でファンがオフのアイドルに声を掛けてしまった罪悪感でもいっぱいだった。
しかし彼はそんな複雑なファン心を切り捨てるように言い放つ。
「はぁ? なんでぼくの名前知ってるの?」
「えっ、だって、テレビに出てるでしょ、『流星隊』の――」
「テレビ? ぼくが? 出たことなんてないけど」
そんなことはあり得ない。ファンが言うのもなんだが、今の流星隊の人気は留まることを知らず、きっと名前くらいは皆知ってるんじゃないかってくらいだから、このしらばっくれ方には無理がある。
『仙石忍』なんて珍しい名前が他にいるとは考えづらいし、何より、目の前の彼はどこをどう見たって忍くんなのだ。お忍びで遊ぶつもりなら、さすがにもっと変装すると思う。
「えっ――だ、だってほらっ」
何かがおかしいと思い、私は自分のロック画面を見せようとした――が、ロック画面はなぜか変わっていたことを思い出す。慌てて『流星隊 仙石忍』で検索をかけるが、画面に表示されるのは関係ないページばかり。カメラロールならと写真アプリを立ち上げるが、私が頑張って集めた流星隊の写真は、全てきれいさっぱり無くなっていた。
「あれっ、どうして、忍くんは――」
「『忍くん』? お姉さん、その『流星隊』?のぼくが好きなの?」
「え、えっと――」
目の前の金色の瞳に上目遣いで覗かれ、言葉に詰まる。
私の知ってる忍くんと彼が同一人物なのか別人なのか――今はそれすらも怪しいけれど、握手会などならいざ知らず、推しに一対一で『自分のことが好きか』なんて聞かれて即答できる人がいるものなのだろうか。少なくとも、その瞬間私は緊張で口ごもってしまった。
そんな私の挙動があまりにも不審者のそれだったのか、忍くんは私の言葉を待たずに口を開いた。
「あははっ、まあいいや。ね、お姉さん、ぼくと遊んでよ」
無邪気な白い歯が、提灯の明かりを受けて輝いた。口元も忍くんとそっくりだけど、流星隊の彼とは違って、肚の中では悪巧みを考えているかのような悪い微笑みだった。
「えっ、いや、子供は帰らないとだめだよ」
「子供? 別に大人もそろそろ帰る時間なんじゃないの? ほら」
彼は私が手に持っていた携帯をひょいと取り上げると、ロック画面をこちらに表示して見せた。時刻は午前零時二十分。そろそろ終電がなくなる時間帯だ。
「あなたの家は近く? 電車に乗らないと帰れないの?」
「さあ、別にぼくまだ遊ぶつもりだし? どうせ大人も子供も帰らなきゃいけないんだったら一緒でしょ」
「一緒じゃないよ! 明日も学校でしょ――」
『学校』という言葉を口に出すと、忍くんは明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた。そんな彼の表情が、私に様々な想像をさせる。
「うるさいなー。良いから一緒に遊ぼうよ、ほらこっち」
彼はそう言うと、私の携帯を取り上げたまま私の腕を引いて歩きだした。飲み帰りと思しき人たちの流れに逆らっているのが明らかで、恐らく駅とは逆方向に歩いているのだと思った。いくら相手が推しだとは言え、子供にここまでされたら流石に大人として怒らないといけない。
「こら、いい加減にしないと警察の人呼ぶよ! 携帯も返して!」
『警察』というワードを出したら止まってくれるかと思ったけど、彼は腕を掴んだまま振り返って、にやりと笑って見せるだけだった。
「良いよ? お姉さんに無理矢理連れられて来ましたーって言うだけだけど」
「……!」
予想外の返事に呆気に取られた。
この子は、大人以上に大人のあしらい方を知っている。恐らく他に何を言っても、彼に丸め込まれてしまうのだろう。
何を考えているのか分からない。私はそんな子供を見たのが初めてで、冷たい恐怖心みたいなものが背中に張り付くようだった。私は一体何をされてしまうのだろう。
「……ね? ぼくと遊ぶのやだったら、警察呼んでみて?」
「――」
結局私はそれ以上彼に何も言い返すことはできなかった。私の沈黙を是と捉えたのか、忍くんは嬉しそうな表情をしてまた前を向いた。その顔が、やっぱり流星隊の忍くんにそっくりだった。
ほんの数時間前まで、あの笑顔を携帯の壁紙にしてたはずだった。なのに今、その笑顔が一番怖い。
彼に連れられてやってきたのはゲームセンターだった。ゲームセンターと言ってもショッピングモールとかに入ってるようなポップなものじゃなくて、昔ながらのレトロゲーム機が多く並んでいる、ちょっとアングラな雰囲気のものだ。店頭にはネオンで店名を象った看板が出ている。
(確か子供は夜ゲーセンで遊んじゃいけなかった気がするけど……)
慣れた様子で入店する彼の背中を見る限り、そんなことを言ったって彼の足が止まることはないだろう。もう半ば諦めるような気持ちで私も一緒に入店した。
店内は薄暗くて狭く、女性が入るにはちょっと躊躇するような雰囲気だった。ビデオゲームの電子音、メダルがジャラジャラと流れる音、シューティングゲームの狙撃音……色々な音が溢れかえっている。こんな深夜にお客さんがいるものなのだろうかと思ったけれど、意外と客入りは少なくないようで、それぞれが自分のお気に入りのゲームと黙って向き合っていた。音で溢れているはずなのに、静かな空間だった。
「ねぇ、このゲームやろうよ。一番好きなんだ」
そう言って彼が指した筐体は、格闘ゲームだった。
ゲームセンターに連れてこられたときは忍くんがゲームをしているところを見てあげれば満足してくれると思っていたのに、まさか自分がプレイしなければならないとは思っていなかった。そもそもゲームの類をあまりやったことがないのに、いきなり難しそうな格闘ゲームはちょっと荷が重い。
「私はいいよ、こういうゲームやったことないから」
「教えるからさ。ぼくに教わったらすぐできるようになるよ」
彼は突っ立っていた私を筐体の丸椅子にさっさと座らせると、自分の百円玉を入れて勝手にゲームを始めてしまった。
「最初はザコと戦えるから大丈夫だよ」
そんなことを言いながら、彼は懐から棒付きキャンディを取り出し、口にくわえながらゲームのレクチャーを始めた。彼が隣で何かを話すたび、キャンディの甘ったるい匂いが漂ってくる。
「これが弱攻撃、弱いけど速い。こっちが強攻撃、強いけど隙が大きい。でもこの敵はあんまり動かないから強連打で倒せるよ」
しょうがないので彼の言葉に従ってゲームで遊んでみる。彼に言われた通りボタンを連打してると、あっさり勝てた。
「いいね。次はちょっと強くなるから、相手の隙を窺ってから叩いてみて」
彼の言う通り、次の敵はさっきより動きが早かった。いくつか攻撃は食らってしまったものの、敵が攻撃したあとの隙を狙って強攻撃を入れていると、やがてその敵も倒すことができた。
「わ、倒せた」
「お姉さん、本当に初めて? 上手だね」
隣で彼が微笑んだ。仄暗い店の中、ゲームの液晶の光が彼の頬をぼんやりと照らしている。
しかし普段見えない左目が見えるだけでこんなにも破壊力が上がるのか……。彼に連れてこられたときの恐怖はどこへやら、忍くんの顔を間近で見られることの幸せを享受し始めていた。
ゲームをしながら頭の中で考えていたのだけど、多分これは夢なのだ。だってよく考えてみれば、持っていたカバンや財布、ロック画面の背景が変わっていたのだっておかしいのだ。それに繁華街の路地裏で目を覚ますのだってあり得ない。大好きな忍くんに会えて、いつもと違う雰囲気を纏っていて、一緒にゲームまでして、夢だったらこんなに幸せなことはない。
そのあとも何戦か試合を重ねた。格闘ゲームなんかやったことなくて最初は右も左も分からなかったけれど、何回か敵を倒すとこのゲームの良さも段々分かるようになってきていた。
忍くんは私がどれだけ下手なプレイをしてもイライラしたりバカにしたりするようなことはなかった。正直子供だからそんなこともあるかもしれないと思っていたのだけど、そこはなんだか大人っぽいのだなと思った。まぁ、夢の中だもんね。
「うわ、負けちゃった」
幾度目かのゲームオーバーの後、画面に『CONTINUE?』の文字が現れる。どうやら入れた百円ではここまでが限界なのだろう。
「あー、終わっちゃったね」
「そうだね」
「お姉さん、楽しそうだったね?」
「うん、楽しかったよ」
もうこれは夢なんだと完全に理解した私は、目の前の忍くんに喜んでもらうべく彼をあやすモードに入っていた。少しでも忍くんに笑ってほしくて、にこにこと穏やかな笑顔で返事する。そんな私を見て、忍くんも満足そうな表情を浮かべる。
「ねぇ、お姉さん見て」
と、またいつの間にか携帯が奪われていて、また自分の携帯の画面を見せられた。ロック画面に浮かんでいた時刻は午前一時三十分。結構遊んだらしい。
「お姉さん、終電無くなっちゃったね」
「もう、本当に帰らないと。忍くん、タクシー乗せてあげるから――」
夢の中だったらたとえ少々やんちゃだったとしても大丈夫。むしろ可愛い。
彼との別れは惜しいけど、とても楽しかった。タクシーで送ってあげて今日はこれでおしまいだろう。
タクシーの番号を調べようと忍くんから携帯を取り返そうとするが、ひょいと躱されてしまった。次に目に飛び込んできた忍くんの顔は、また悪い笑みを浮かべている。
「あは、お姉さん。ぼくが責任取ってあげるからさ、こっち来てよ」
忍くんはまた私の返事を待たずに腕を引っ張った。彼の右手に嵌めている指輪が私の手に食い込んで少し痛い。
店から出るのかと思いきや連れられたのは店の奥の扉、その向こうの非常階段だった。妙な熱気のあるゲームセンターにいたせいか、久しぶりに浴びた夜風が少しだけ肌寒い。
忍くんがドアを閉めると、ぐいと腕を引かれたその勢いでドアに腕を縫い付けられた。背中が勢いでドアにぶつかって、鈍い痛みが体を走る。バン、と大きな音がからっぽの夜空に響いた。
突然の出来事に言葉を失っていると、彼はその金色の目を剥いた。
「お姉さんだけつまんない日常に帰るなんてダメ。朝までぼくと過ごしてよ」
彼の瞳はすっかり夜闇に染まっていて、今まで見たことがない色をしていると思った。その色から、私は目を離せない。
「秘密の場所があるんだ。一緒に朝まで過ごせるよ。一緒に行こう?」
彼はそう言いながら手を離すと、今度は私の頬を撫でた。その手はゲームのコントローラーを操っていたときのそれとは全く異なっていて、するりと輪郭をなぞるように動いた。甘い痺れと僅かな恐怖心で、頭がどうにかなってしまいそうだ。
「あは、そんな顔しなくても大丈夫、お姉さんには何もしないよ。ぼく、お姉さんのこと好きになっちゃったから」
忍くんの唇が耳元に近づいて、彼の食べていたキャンディの甘ったるい匂いが鼻孔を擽る。
「ねぇ、お姉さんもぼくのこと好きでしょ?」
彼が耳元で囁いた。吐き出される言葉のひとつひとつが耳から脳へ響いて、頭の中が彼でいっぱいになる。
私は、この誘いを断って今すぐタクシーに乗って帰るべきだと分かっていた。でも、そうするにはあまりにも彼の瞳が甘ったるくて、そして愛らしかったのだ。
「……ね? 一緒に行こう」
彼が悪魔のように誘う。彼の向こうで、夜空の月も笑っていた。
夢とか現実とかどうでもよかった。私はその甘美な誘惑に、もう逆らえなかった。
観念した私がゆっくりと頷くのを見て忍くんはまた満足そうな笑みを浮かべる。私がはっきりと覚えているのは、その時の彼の表情だけだ。
2025/10/10